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プロフィール

プロフィール「奥」

相浦 裕・プロフィールの奥

長崎出身。
幼いころから山や海で遊び学校をサボり自然と触れあうのが大好きだった。
小学1年生の時 全国小学生スケッチ大会で最優秀賞を受賞して賞状以外にたくさんの画材を小学1年生の体では持ち帰れないほどいただいた。中学の夏休みはマッチの棒だけを使い五重ノ塔を制作。毎年、夏休みはマッチ棒でお城を作っていた。それが同級生と校長先生にまで褒めまくられた。そこから自分の中の絵のスイッチがONされた。
高校3年生までコンクールとか美術県展で毎年いくつもの受賞をした。いつのまにか自分は本当に絵が好きだと気がついた。
大阪芸術大学を卒業して日本デザイン専門学校の講師になった。その当時は先生という職業に物足りなさを感じていて世の中でもっと難しい仕事をしたい欲望が強くあった。そのためには有名な人について勉強しようと思い立った。
人気イラストレーター滝野晴夫さんの事務所へ弟子として出入りさせていただいた。当時もうひとりタッチがぜんぜんちがうイラストレーター日比野克彦の活動にもお手伝いさせていただいた。渋谷パルコの壁画、パルコ横協会壁画をパルコ事務局の仲介でアーティスト福田繁雄さんに不思議絵原画を制作していただき相浦がその壁画を描いた。以上は大活躍する有名イラストレーターと有名アーティストのアシストをして光栄で貴重な経験をした。

その後、
イラストレーターとして独立して 乃村工藝術社へ営業したのがきっかけで国際花と緑の博覧会サントリー館に世界一のステンドグラス様式の大壁画を制作するプレゼンテーション候補として出品したいとの話があった。それは有名画家とか有名イラストレーターでも一生のうち一度もあり得ないような馬鹿でかい仕事のプレゼンテーション。これは全国から電通、博報堂、日本デザインセンター、乃村工藝社、丹青社、その他有名デザイン事務所、等々が数百社以上が競ったプレゼンテーションだった。結論から話すと 相浦裕のプレゼンテーションが乃村工藝社を通じて白羽の矢が立ったのだ。奇跡の瞬間だった。
国際博覧会で 芸術作品として大きな仕事をした人は岡本太郎くらいだ。
岡本太郎のその偉大さは比較にはならないが それだけ類まれな国際博という世界的に大きな大きな壁画であったということだ。
このプレゼンテーションに競り勝ち、2年間かかり この壁画の原画制作を続けてようやく原画完成。
NHKがドキュメンタリー方式で相浦裕の花博サントリー館大壁画を放送するため取材させてほしいとの正式オファー通知があった。
その取材直前に 母が亡くなった。 衝撃的なことだった。
せっかく母に見せるためにも 花博大壁画制作をがんばっていたのに。
大阪花博会場での壁画は サントリー館フラワーウォールと名付けられその現物をあらためて眺めた時は 鳥肌が立った。言葉で言い表すことができないほど感動、感激した。一生涯で最も喜ばしいときでもあり、母に見せたかったという悲痛な思いも交差した。
花博閉会後も電通ギャラリーで フラワーウォール大壁画原画展を開催していただいた。また都内のデパートでも同じ大壁画原画展を開催していただいた。
これを契機に湘南イラストレーション倶楽部を旗揚げしイラストレーションの制作・プロデュース活動をしてきた。
当時、丹青社さんと業務提携契約を締結し博物館・資料館の仕事をしてきた。
その他にも数々の 広告・出版・ディスプレイ・テーマパーク関係の仕事をした。(主にディズニー・オリエンタルランド社・サンリオピューロランドサインデザインの仕事をした。)

相浦裕個展その他展示会は→
電通東京本社アドギャラリーにて花博大壁画個展。
東京ギャラリーウィズ招待個展―花博大壁画個展。
東京六本木ディスコ玉椿にて個展。
東京池袋西武ハビタにて個展。
電通東京本社アドギャラリー個展。
東京原宿パレフランスのグラフィックステーション個展。
東京銀座グラフィックギャラリーアートワークス展作品展示。
東京青山スパイラルアートワークスアート市作品展示。
東京銀座グラフィックギャラリーアートワークス展作品展示。
東京渋谷パルコアーティストフリーマーケット作品展示。
東京銀座グラフィックギャラリーアートワークス展作品展示。